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アイルトン・セナの死

さて、1994年のイタリア留学についてお話します。高校3年生になると皆進路で悩むと思います。今考えれば、別にそれで人生が決まるわけでもないのに。進学する人もいれば就職する人もいます。私の高校は就職する人が多かったのですが、私は留学という道を選ぶことにしました。本当は高校を中退して留学しようかと考えた時期もあったのですが。それは高校がつまらなくて大嫌いだったから。

特に規則というものが嫌いでした。ある程度の規則はわかるのですが、くだらない規則が多すぎるなと。皆一緒じゃないと駄目みたいな所が本当に大嫌いでした。この考え方については人それぞれですが、私は今でもそう思っているし、人と同じことをすることが嫌いです。私が思うに、海外にはそれぞれの個性を活かせるような環境があるように思いました。そんなわけで留学を選びました。

イタリアを選んだ理由は子供の頃にイタリアに行った時の良い印象があったのと、また行ってみたいと思っていたからでした。そして、クルマ好きだったら1度はフェラーリの地元であるイタリアに留学してみても良いかなと。準備に追われた留学直前の1994年5月1日、私にとって衝撃的な出来事が起きました。それはアイルトン・セナの死でした。しかもイタリアのイモラサーキットで。

非常にショックで悲しかったです。それまで何年間も死人が出ていなかったF1で、しかも天才ドライバーであるセナが死ぬなんて信じられない気持ちでいっぱいでした。そんな気持ちを持ちながらイタリアへ留学することになったのですが、イタリアに行ったらまずはイモラサーキットに必ず行かなければと思っていました。

私は、イタリアのシエナというフィレンツェから1時間ぐらいの町に留学することを決めていました。シエナは非常に治安も良くきれいな町でした。

私のイタリア留学の目的は語学勉強でした。もちろん勉強だけではつまらないので、いろんな所に出かけました。フェラーリの工場があるフィオラノやフェラーリ博物館、F1やF3などのレースも見に行きました。電車を降りてサーキットまで1時間延々歩って行ったこともありました。

やはり1番の思い出は、イモラサーキットに行きセナの死んだ「タンブレロコーナー」を見たことでした。今ではサーキットも安全のために改修されてしまいましたが、まだその当時は改修される前でした。しかも、セナが壁に衝突した黒い痕跡が残っていました。なんとも言えない気持ちでした。壁は衝突の衝撃で削られており、衝突の凄まじさを感じさせました。近くには花束がたくさん置いてあり、セナのファンの多さを痛感しました。

近くにはセナの銅像が建てられていました。このイモラに来て私は心に思うことがありました。それは「レースがしたい」と。一時は諦めかけていたレーサーへの夢。レースをせずに諦めて後悔したくない、そんな想いがイタリアのイモラに来たことによってレースをやろうと思うきっかけになりました。私はセナの銅像の前で誓いました。『絶対にレーサーとしてここに帰ってくる!』と。

私がイタリアに留学した理由、それは「自分が何をしたいのか?」を考え見つけることでした。イタリアで多くのレースを見て、セナの銅像の前でそれが見つかりました。やっぱり私はレースがしたいのだということがよ~くわかりました。それからは、クルマ雑誌を見たりしてとにかく情報を集めました。

そして、レースの世界へ入っていくわけです。このようなことも全て受け止めてレーサーになることを決意しました。この頃はまだトレーニングなどはしていなかったけど、トレーニングの重要性はいろいろ情報を集めていく中でわかってきました。レーサーって大変なんだなと。

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